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ストレスが元で私に起こった体調不良【うつの症状】

別居した今でも
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相変わらず先の見えない不安がつきまとう

以前ストレスからメニエール病になったことを書かせていただきました。その後も症状は治まりましたが、根本的な悩みの解決には至らず、以後も心が晴れない生活が続きました。

当時、再就職はできたものの、夫の収入はずっと不安定でした。それを改善しないと、きっと私は安心できないと思い、今度はメニエールも治まったことだし、少しでも自分が働いて家計の助けにでもなればと、私は子どもが学校に行ってる間、時間の融通の利く仕事を探して働こうと一生懸命になっていました。

しかしそれがきっかけで、また別の体調不良と、今までの自分を振り返る出来事が起こりました。今回はそのことについて書かせて頂こうと思います。

アルバイトがうまくいかない

最初に見つけたアルバイトは、物流センターで週3~4日、9:00~13:00までのコンテナBOXに商品を詰め込む仕事でした。「時間の融通が利いて、仕事をするのは久しぶりだけど大丈夫そうかも?」と思い働き始めました。

ところが、思ってた以上に体力のない私には重労働だったのと、広い倉庫内での放送が、音が反響して聞き取れず、指示を聞き逃してしまうこともしばしば。放送も聞こえず、どんくさく、体力もない私に周りはイラっとさせられたのでしょう。先輩方からきつく当たられることも増えてきてしまいました。最終的にはメニエール病が再発していて、ストレスから視野狭窄にもなって、試用期間でそのアルバイトを去ることに。。😅

そのあとは、みに先生のスクールの先輩N子さまの家業とされている会計事務所で、同じく週3~4日、9:00~14:00まで事務員のアルバイトを任されました。結婚前に中小企業ですが、経理部担当で簿記の知識も多少あったため、お願いされて、ありがたく受けさせて貰ったお仕事でした。

しかしこちらも結婚して10年、いざ事務職で働いてみると、今まで同居や家事・子育てに時間を費やして、経理はおろか、働く事すらしてこなかった自分にはとても難しい事のように感じ、独身の時のようにキビキビと、思うように頭や気が回らず、なさけなさと、もどかしさだけを感じるようになってしまいました。

N子さまの娘さんの、育休が終わるまでの期間限定のお仕事ではあったのですが、もし仕事が板について双方良ければ、雇用延長とお話もされていたのですが、お役に立てずに当初のお約束通り、期間限定で終了になってしまいました。😥

出来ないことに完全に自信を失う

短期間に2つのアルバイトを、自分の能力不足から辞めざるを得ない状況になって、私は完全に自分に対する自信や存在価値を見失ってしまいました。

体力もないし、無理をするとメニエールが再発する。

昔は得意で出来たことも、今はそれすらできなくなっている。

その事実がとても情けなく、自分の家庭の経済状況が苦しいのに、少しのアルバイトをすることもできない主婦の自分を、何の価値もないもののような気がして、先の見えない不安感に拍車をかけてしまいました。そしてATMにお金をおろしに行ったある日、自分の体調の異変に気付きました。

ATMが怖い 息苦しい

毎月夫の給料と、足りない分は貯金を切り崩して生活をしていました。

しかし、通帳の残高は日々減ってきていることは明確で、それが、家を手放さなくてはいけないカウントダウンのように思えて、いつか「0」になったら生活が終わるんだと思っていました。

自分が働けたら「0」になる速度を緩められるか、もしかしたら防げるかもしれないのに、しかし自分はなにもできず、毎月「0」に向かって生活費をおろしにいくだけ。そう考えてしまったら、いつのまにかATMでお金をおろすのが恐怖に変わってしまっていました。

減っていくのをただ眺めるしかできない通帳を持つ手も震え、ATMのあの狭い空間に行くだけで、息が詰まり、気持ちが悪くなる。

以前夫がうつで職場に行くと、そんな症状が出ると言っていたのを思い出し、自分もおかしくなりかけているんだと自覚するようになりました。

自然と涙がでる

体調の異変は、お金をおろすとき以外でも起こるようになりました。

それも一人でいるときにしか起きないのですが、意図せず自然と涙が出てくるように。

『あ、自分は泣いているんだ。』と自覚すると、急に息苦しい気持ちになって、涙がとめどなく出てきてしまい、感情の処理ができなくなってしまっていました。他にも朝起きると、とても憂鬱な気持ちで、『またただ生きているだけで、お金が減っていく1日が始まる』『自分で命を絶とうとは思わないけど、朝起きられずそのまま死んでいってしまっても、それはそれでももういいかな』と考えるようになりました。

実母に「助けて」

お金が減っていく事を極端に恐れるようになった私は、生活に必要な食品や日用品を買う事すらも辛くなってきました。そんな状況に陥っても、もちろん子どもや、せっかく働き始めた夫に言うわけにもいかず、病院代の支払いを考えると、自分がうつなのかどうか診察に行くこともためらっていました。ただ辛い今を耐えるしかない。そう思っていた時に、たまたま実家の母から電話が来ました。

他愛もない内容の電話だったのですが、そのせいか緊張感がほぐれ、一人のときにしか出なかった涙が出てしまい、電話でも実母に感づかれてしまいました。今までの親子関係ではきっと私は話さず、心配かけず、いい子を演じきって話はそれで終わったかもしれません。しかし、今回は私も限界だったのでしょう。わかってしまった以上、洗いざらい今の自分の状況を母に話しました。

母は

『お金のことは気にするな。

あとで医療費は出してあげるから、心療内科に行って診て貰ってきなさい。

もし治療が長引いてもこっちでどうにかする。』

そう言って医者に行くことを後押ししてくれました。

しかし私は『アラフォーにもなって、親からお金なんて貰えない』と母の気持ちをうけとれないでいました。それでも母は以前私が結婚式をした時も、自分たちの貯金で出すからと言って受け取らなかったこと、私に用意してあった結婚資金を使わなかったことを言って、だから今回は、それを今使わせてほしいと言って、気負わず受け取るように言ってきました。

それは、あの鬼ババアで、高圧的で、子どもを思い通りに支配したがった母親が、「変わったな」と私が感じた瞬間でした。

そうだ、この母も色々あったんだ。祖父が亡くなって、家業が廃業して。父はサラリーマンになって、末の妹は高校生になったばかりだっただろうか。ずっと主婦をしていたのに、ある日、配膳人やヘルパーなど、色々アルバイトを始めた時もあったっけ。その度具合を悪くして、時には私は当たられたこともあったな。

今でも母は介護の仕事をしていて、主婦から色々な経験をして、母なりの成長があって、かけてくれた言葉なんだと思い、今回ばかりはありがたく受け取ることにしました。

やはりうつ病のなりかけ

母の厚意でありがたく心療内科にかかったのですが、やはりうつ病寸前の状態でした。

医師に丁寧に話を聞いてもらって、結婚から同居、解消、夫のうつ、再就職、メニエールや自分の仕事の事など一通り話させてもらったのですが、「そんな短期間にそこまで色々な事があったのなら、こうなっても不思議ではないでしょう💦」と言われ、夫が飲んでいた薬と同じものを処方。それを約1か月半飲んで、おかげさまでことなきを得ました。

まとめ

病院に行けたこともそうですが、私の心の病気が大事に至らずに済んだのは

・母に精神的、金銭的な援助をお願いできたこと。

・母の厚意を受け取ることができたこと。

それが大きかったと思います。あの時、母に本当のことを話せずにいたら、本当にうつ病になっていたと思いますし、下手したら自ら命を絶っていたかも知れません。

母の態度も昔のままだったら、話せなかったとも思います。以前なら悩みを打ち明けたところで、結局あんたが悪いと言われて喧嘩になって、話はそれで終了。私自身、母のせいで私の人生は人に振り回されて、自分のしたい事なんて何も分からず、何のために生きているかすら分からなくなっているとも思っていたし、母を恨み、疎ましく感じていたことも事実です。

しかし実際は大人になっても、歳をとっても、お互いの知らないところで、それぞれが経験から何かを学び、自分を成長させていたようです。そして、それをきっかけに、母と付き合いながら、前とは違う親子関係をまた築きなおす時が来たのかな、と、今では明るい未来を想像しています。

このことについては、過去のことはもうチャラにしてやってもいいよと思えるくらい、母に感謝できた出来事でした。最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。🙏


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いつもありがとうございます。🙏

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楪~yuzuriha~

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