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周りからは完全同居を反対されなかったのか

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結果から言うと、実の母親は賛成、父親は私の好きなようにしなさい、友達からは反対若しくは心配をされていました。友達の反応は当然というか、私も当時の自分にもし会えたなら確実に止めたでしょうね。(笑)そして父はともかく、母はなぜか賛成していました。普通一番反対な立場の人間がなぜ??と思いますよね。今回はそんな母の話をしたいと思います。

私の母は学生時代に知り合った父と、大学卒業後すぐに結婚をし、遠方から一人っ子の父のところに嫁いできました。当時祖父が経営していた自営の仕事を家族で家業としていました。店舗兼住宅の完全同居でしたが昭和50年代の田舎では珍しくはなかったと思います。祖父、祖母、父で表の仕事をし、母が家事一切を担当していました。私はそこに長女、第一子として生まれ、仕事以外の時は飲んだくれの祖父と病気がちな祖母に、かなり可愛がられて、甘やかされて育っていたようです。父一人しか子をなせなかった祖父母にとっては、私と関わることがとてもうれしかったのでしょう。生まれてしばらくすると、母乳をあげたりおむつなどの世話をするとき以外は祖母が私の面倒を見、母は家事をするように促され、持ち場に戻っていったそうです。当時の自分はただ子供を産んだだけの家政婦みたいだったと後に母は言っていました。

そういう環境下だったためか、物心ついてからずっと私には母と楽しく過ごした記憶がありません。思い出せるのはいつも母に怒鳴られ、叱られ、殴られたことがほとんどです。父は跡継ぎとして仕事に忙しく、祖父母は甘やかして私を注意することをしなかったので、教育の為と母は厳しくしていたようですが、子供の私はそんな母になつくはずもなく、祖母が母代わりで、母はただの恐怖の対象になっていました。それが余計に母の心を逆なでして、今なら虐待と言われてもおかしくないような躾になっていき、エスカレートしていきました。

「ネガティブな感情をもって子供を支配しようとする、コントロールする。」というのがいわゆる毒親といわれる親の定義らしいのですが、残念ながら、おそらく母はそれに当てはまっていたと思います。今だからわかることですが、私に暴言や暴力を浴びせることで、母も心のバランスをとっていたのだと思います。そんな私は小さなころはよく自家中毒や円形脱毛症で小児科に行っていて、病院に行った時だけ、母がほんの少しいつもより優しかったのを覚えています。

その後、弟や妹が産まれると更に母と関わることが減っていきました。同じ家に暮らしながらも、母は祖父母に私を差し出して、弟と妹だけは自分の手元に置いて自分で育てようと決めていたそうです。相変わらず母と関われるときはほぼ、連絡事項がある時か、怒られる時という異常な親子関係が成人するまで続きました。思春期の頃は、顔を合わせれば言い合いにしかならず、本当に天敵のように感じていました。それこそ自分が死ぬか、母が死ぬかどちらかしないと終わりが見えないくらいに思っていました。

勉強や親が決めた習い事ができなければ身近な兄弟やお友達と比べられて怒られて夜中まで母のスパルタ個別指導。そしてどうにか頑張って結果を出しても

「あれだけ手間暇かけて習い事にも沢山通わせて、お金をかけてるのだから色々できて当然。」と言われ

進路では自分がやりたいことではなく、そもそもコントロールされてきたので自分の意思もほとんどなかったのですが、お金を出すのは親なのだからと母親が望む短大を受験しました。その割にそのうちどうせ嫁に行くのだから名前の通る短大に入って、肩書をつければいい、資格などは特に必要ないと言われ、やる気も未来もないふわふわっとした学生生活を送りました。そして資格取得がものをいう、超氷河期の就活時代にあたってしまった私は、失敗作で弟妹にはああなってはいけない、と悪い見本のように紹介されました。今までほとんど言い合いや喧嘩になっても、親の希望を通してきた私はそれはもう成人してからグレにグレました。だんだんと私も30代近くになって直接争うことは減ってきましたが、私が結婚して家を出るまで微妙な親子関係は続きました。

結婚してほぼ十年、子どもを産んでからだんだんと関係性も改善し、今だからこそ死闘を繰り広げてきた母だけに、お互いを理解し助け合える関係になりましたが、結婚を決めた当時はまだその微妙な親子関係を引きずったままでした。結婚したあかつきには、もれなく完全同居になることを伝えると、母は自分は同居に苦労していたはずなのに不思議と喜んでいました。なぜなら私はできない子だから、すぐ近くにお姑さんがいたほうが安心だと思ったようです。今思えばかなり失礼な話なのですが、当時は喧嘩慣れしてしまっているせいか、そんなことで腹を立てても仕方がないし、喜んでるんだからまあいいか。そして私は今まで自分の親とですらうまく暮らすことができず、大人になってからも自分の家庭内の役割を理解して、ある意味割り切って実家で暮らしていたので、義家族と暮らすのもそう変わらないだろうとたかをくくっていたと思います。実際その甘い考えで、その後大変苦労することになるのですが、それはまた書いていきたいと思います。


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楪~yuzuriha~

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