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苦手なものの本質

別居した今でも
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以前『今の自分に丁度いい』という記事で、「今あるものでやっていく」ということの重要性について書かせて頂きました。

無いものねだりしても仕方ないし、増やす、集めることに力を注いでも結局私は上手く運用することが出来ないし、出来たところでもっともっと!と欲が出る。

なので最近は「今ある」お金だったり、物だったり、そういったものに目を向けてなるべく有意義に運用するように心がけてみてはいるのですが、

どうしても、

「これは一体どうしたらいいの?」

と判断に迷っていることがありました。

それは、人間関係・・・。

ハッキリ言っちゃえば、義実家の義母さんと義弟君のこと・・・。

ものではないけれど、「今私を取り巻いてる環境の1つ」であることは確かです。

一緒に住んでいる訳ではありませんが近所の為、困っていることは助けているし、義母も孫かまいたさにちょくちょく顔を出すのでやっぱり影響はあります。

自分と価値観が似通にかよっていれば苦労は少ないのですが、どう考えても私とは違う人種のようで、非常に疲れます・・・。

ささいな違いが大きなストレス

義母と一緒に居ると大小様々に違いを顕著けんちょに感じます。

『類は友を呼ぶ』っていう位だから、いままで会ったことないタイプで、義母さんを新人類か宇宙人のように感じるときもあります。

ささいなことだけど、例えば義母さんは、

お金が入ったら後先考えず、その時欲しいものに使っちゃう。

どんな状況(コロナ禍)でも、自分が行きたい場所には行きたいと思った時に行く。

プレゼントは相手が欲しがっている物ではなく、自分のお薦めを送る。

個性なので悪いことではないのですが、私とは真逆の考え方・行動をします。

それだけなら別に良いのですが、義母は私にそういう考え方、行動方針を押し付けてくるので相手をするのが疲れてしまって、付き合いが嫌になったりするのです。

義母にも思うことがある

先日義母に用事があって家に行った時のこと。少し雑談になって義母が珍しく自分の過去の話をし出しました。夫が若かった頃や、子どもだったころは割と聞いたことがあったのですが、義母自身の子どもの頃の話で義母本人の感情を聞くのは初めてでした。

義母は中学生の頃交通事故で父親を亡くし、暮らしが一変。生活がままならなくなり、高校を辞めて就職をし、夜も掛け持ちでアルバイトをして義祖母と共に生活を支えていたそうです。そういう突然父を亡くし、貧しい大変な生活を送った経験から

「ものやお金、人もだけど、いつなくなるか分からないからね。」

「あるうちに使っちゃったり、思い出も残しておきたくなるのよね。」

そう話していました。

それでも今の私には必要な人間関係かもしれない

「ああ、なんだ。この人も子どもの頃の衝撃的な体験から、こういう考え方や行動をするのか・・・。」そう思い、義母も私と大して変わらないのだと気づきました。

義実家との付き合いは「断捨離だんしゃり」じゃないけれど、あまりにも疲れるので切り捨ててしまおうと思っていた時期もありました。

しかし義母なりにトラウマがあり、周りに流され、それに適応して生きてきた義母の人生があるのです。否定するばかりではなく、そうなった理由があるのだから、義母をとうとばなくてはいけないと思いました。

義母の根底にあるものを今回少し知りましたが、でも同情するわけではありません。

義理の親子と言えど、お互いの考えや、生きていく目的は違います。

しかし私には義母と付き合っていくことは

「自分をすり減らさない」

「義母の勢いに負けて言いなりにならない」

「義母に考えを支配されない・私の正論を押し付けて支配しない」

で、

良い関係性作りを学ぶための

『今ある、自分を成長させる大切な人間関係』であると感じました。

ある日の何気ない義母との会話でしたが、 これも『今あるものでやっていく』ことの1つだと気づけた出来事でした。

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別居した今でも同居のこと
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楪~yuzuriha~

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