今年も学校から「就学補助費の継続申請」についてお手紙を貰いました。
うちは、3年前に夫がうつで仕事を転職してから、ずっと収入が安定せず、今年度も受給対象になり、今まで就学補助費を頂いていました。
今年度はやっと光が見え始めたというか、私も上半期はバイトをしていたこともあって、抜け出せるかどうかという所まできたのですが、コロナ禍でバイトを止めてしまったので、来年度はちょっと微妙なところ・・・。
ギリギリ申請が通るか、そもそも今コロナ禍で大変でもっと困っている方もいるだろうから申請を辞退すべきか迷うのですが、申請を受けようと思った最初の年は今の迷いとは違う、もっと根本的な葛藤がありました。それは、
「働けない自分たちが情けない・・・。」
「みんな頑張っているのにそれが出来ない自分がいけない、恥ずかしい・・・。」
「就学補助費を貰っていることで、学校で貧乏だって言われて子どもがいじめに遭ったらどうしよう。」
・・・そんな気持ちでいたからです。
自分を大切にできない私
前回「不幸ぐせ」という記事を書かせてもらいましたが、差し出された助けを素直に受け取れない自分が居るんです。
考え方で自分が助けて貰うに値しない人間だと思っているから、幸せのチャンスを突っぱねてしまうくせなのですが、そういう事もあって上で書いたような
「頑張れなかった自分たちが情けない・ダメだ。」と、私はそう思ってしまっていました。
そして、自信がないくせに謎のプライドから「補助費を貰うことが恥ずかしい。」
さらにそれが原因で「子どもがいじめられたらどうしよう。」とまで思っていました。
本当に自分たちが辛くても、最初は助けを求めて良いのか悩みました。
助ける人は助けられる人が居てこそ成立する
そう感じてしまうのは今までそういう制度を利用したことが無く、どちらかと言えば「助ける側の人」だったからかもしれません。それがあるきっかけを経て一転、ある日突然「助けられる側の人」になった戸惑いもありました。
「なんでウチがこんな目に・・・。」
「ウチがみんなの迷惑になってしまう。」そういった思いがあふれ出し、置かれた立場に納得いくまで私は時間がかかりました。
しかし、少し前にみに先生の所の勉強で、
「善行(ぜんこう)」という言葉を知りました。これは仏教用語なのですが、
「善行とは人を助け、人を救い、思いやる行為」だそうです。でも、その善行も一人では成立しません。助けてもらいたい人がいてこそ、一対で成り立つ事です。
人に助けてもらう人は、人を助ける人にしてあげる善行なのだそうです。
だから、
重い病気になっても、
お金が無くなって支援を受けなくてはいけなくなっても、
不自由な体で人の手を借りなければ生きられなくなっても、
どんなに迷惑をかけても堂々と「助けてください」と言って良いのです。
そう考えられるようになると、「助けてください」と言い易くなります。そうして、辛い人生かもしれませんが、あきらめずに生き抜くことが大切だと思います。
いつかできるようになったらその時の恩返しを!
少し前、半沢直樹のドラマでこんな言葉がありました。
「施されたら、施し返す。恩返しです!」
セリフと言い方のインパクトが強く、なんだか忘れられない言葉。
でもそれって大事なことだと思います。
私も出来ることでいつか恩返しをしたいと思います。それは働くことで自立することも良いですが、もっと身近なことでも構わないと思います。

学校や地域のボランティアなど、何でもいいと思います。家族の為にとか、誰かの笑顔の為になれれば充分恩返しです。
自分の得意なことで貢献できたら、それは最高の恩返しだと思います。
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