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不幸ぐせ

PTSD
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私の心の根底には、幼いころから実母から(しつけ)と言う名の暴力、支配を受けていて、暴言で嫌と言うほど自分が価値がないものだと思い込まされてきましたから、何しろ自分に自信が持てない、自分が好きじゃないという気持ちが根強くあります。

そんな感じだから、自分の感情、考えすら尊重できず大切にできません。

ダメな自分が報われないのはいつもの事。さらに人から嫌われる、攻撃されることには慣れてしまっているのだけど、悲しいことに好意を向けられたり、本来努力が実ることはいいことなのに、物事がうまくいっていると「怖っ!!」と思ってしまうことがあります。

それを私は「不幸ぐせ」と呼んで、今ちょっとずつ改善しなくちゃいけないなあと思っている課題であったりします。

こんな私だけど好かれていいの?成功していいの?

私にご縁が少なかっただけで、世の中には初めて会う人や、あまり付き合いが長くない人でも、好意的で本当に親切な人も居らっしゃいます。しかし子どもの頃から家庭内で役割や見返りを期待されて育ったせいか、その親切の裏側に「何かあるのかな?」と勘ぐってしまいます。

本当に親切心で言ってくれてるのに、素直に受け取れず申し訳ないと思うのですが、どうしても最初の感情は「これは、受け入れて大丈夫なのか?」「後でまた、これを受け入れることで不幸なことが起こらないか?」と相手を疑うところから始めてしまいます。

何より生まれてきた娘にも、「こんな母親でも好いてくれるのが不思議」と特にきついことを言ったり叩いたりなどしていないのですが、無条件に好意的な子どもにすら疑問をもってしまいました。

手放しに感謝し、素直に「母と同じことをしないでよかった!」と喜べばいいのに、くせとは怖いです。

嫌なことをされた相手から差し出される好意はもっと微妙

今だから、実家の母はうそのように穏やかになり、困ったことがあれば手を差し伸べてくれますが、最初の頃は差し伸べられた手を取っていいものか本当に悩みました。

義母も気分のいいとき、精神が不安定で変なことを言ってくるときがあるので、自分が本当に困っていても頼っていいのか今でも構えてしまうことがあります。

「この好意を受け取ったら、見返りを要求されそう」そう思うだけならまだしも、

好意を受け取ったところで、

「嫌いだった人にまで助けてもらう自分が情けない。」

そう考えてしまうこともありました。

残念ながら当の本人は何とも思っていない

最近気づいた事があります。母や義母はそれが正しかろうとそうでなかろうと、その辺は差し置いて、子どもの為に一生懸命自分が良いと思ったことをしてきたから、残念なことに悪いことをしたと思っていません。

大変な生活の中、必死だったから細かいことは覚えていないし、むしろ頑張ってきた自分を正当化し、美しい子育ての思い出になっているかもしれません。

こちらは、フラッシュバックで辛い思い出の方が鮮明に覚えているというのに、残酷なものです。

しかし、その母たちも過去を振り返ってみて、私に施してきたことの全てが害ではありませんでした。

10あるうちの3くらいは、真っ当なことであったり、こちらの希望と、あちらの施してくれることが合致することもあります。残念なことに辛い記憶のインパクトが強すぎて、良かったことも薄れてしまうのかも知れません。

そのくせがある限り多分私は幸せになれない

不幸だったころの思い出に囚われて、せっかく母の過干渉から抜け出た環境に居るというのに、今は自分で自分を責め、幸せになる権利を放棄してしまっているみたい。

20代半ばまで呪文のように聞かされ続けた「あんたはダメな子」という言葉。

残念ながらそれは染みついて、簡単には頭から離れないかもしれないけれど、ホントはダメなんかじゃないのだから、心底助けが必要な時は邪推(じゃすい)せず、母たちの厚意を受け取る練習をしていかなくてはいけないと思うんです。

むしろあの地獄の幼少期を耐えきれたのだから幸せになるべき人間だと思いたい。

そうして辛い思い出を手放すと同時に、自信を取り戻して少しずつでも「不幸ぐせ」を克服していきたいと思います。

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PTSD子どもの頃のこと雑記
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楪~yuzuriha~

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