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変だということに気づかない怖さ

PTSD
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私は若いころからずっと顎関節症に悩まされています。

顎関節症は幼児期の受け口から始まり、思春期頃にはもう口が開かなくなって、一度はプチトマトが食べられない位にまで悪化しました。大学生位から定期的な治療をしてかなり落ち着きましたが、今でも口を開けると耳の下あたりの骨のきしむ音が聞こえ、首・肩こりなど、たまに我慢できなくなるくらい痛みが出ることもあります。また、軽いものなら食いしばりによりできた二重あごや、歯の根元が歯茎から飛び出してしまう(こつ)隆起(りゅうき)などの症状もあります。

40年近くこの症状と付き合っていて、なかなか全快という訳にはならないのがツライところなのですが、なぜここまで顎関節症と長く付き合っていかなくてはならなかったのか。それは子どもの頃の日常的に行われていた暴力とも関係がありました。

最初は幼児期の受け口から始まった

私は2歳の頃には歯科検診で指摘されていて、見た目・性格・学力、すべて子どもに完璧を求める母にとっては悩みの種だったようです。

子供が受け口になる原因には、遺伝的なものや環境的なものなど様々あり、主な原因としては以下のようなものがあります。

・上の前歯が少し内側に傾斜して生えている

・「上あごが小さい」「下あごが大きい」といった骨格に関する遺伝の影響

・下あごを無意識に前に突き出したり、指しゃぶりをしたりする癖

・口呼吸やほお杖、うつ伏せ寝などの生活習慣

(こちらのサイト様より抜粋させて頂きました:【歯科医監修】子供の受け口はどう治す?費用など、気になることまとめ – こそだてハック (192abc.com)

祖父が受け口だったこともあり、骨格の遺伝の影響もあったのだと思いますが、小学校に上がるまで指しゃぶりのクセもあったので、受け口になりやすかったのでしょう。調べてみればなりやすい要素がかなりあったと思います。

その都度殴って気付かせる母

当時の母は、苦手な祖父と娘が同じ受け口になるのが嫌だったのでしょう。

かといって、受け口を矯正したりすれば、私が大好きで、もし「おじいちゃん似だね!」言われれば舞い上がってしまうほど喜びそうな祖父に対して、角が立つと考えたのかもしれません。

歯医者には行かず、母は私に受け口になっている私を見かけると注意をする方法を選びました。

あの母の注意の仕方ですから、もちろんいつも意識的に下あごを引いていないと叩かれ、叱られます。時には押さえつけられ、下顎を痛い位押し込まれることもありました。

正直2~3歳の子供に「いつも意識するように」など、そんなことが出来るわけがありません。

それでもその荒治療が続き、誰も止めてくれる人は居ませんでした。

ちゃんと治療できたのは大学生になってから

その後、永久歯も生え始め、歯並びも変わってきたのでしょうか。

小学校低学年の頃には受け口で叱られることはなくなってきました。

しかし、きっとその頃ちゃんと歯科医に行って治療しておけばよかったのでしょう。高校生頃に一度完全に顎が外れてしまって、閉じなくなってしまったことがあったのですが、その時も親に相談したら父親もよく外れることがあるらしく、

「適当に押し込めば治る」

と言われそのように対処していました。知らない・疑わないって恐ろしいことで、高校生までに2度治療のチャンスを逃しています・・・。

本格的に治療が出来たのは一人暮らしで保険証を切り離して使っていた大学生時代からでした。

その時初めて歯科医でマウスピースを作って、悲しい事に

「あ、マウスピースってこんなにも顎が楽なんだな・・・。」と知りました。

最初からそういうものだと異常に気付かない

()虐待(ぎゃくたい)症候群(しょうこうぐん)」という言葉があるそうです。

ウィキペディアによると、

被虐待症候群(ひぎゃくたいしょうこうぐん、Battered person syndrome , BPS)は、虐待被害者の症状として頻繁に紹介されるもので、あまりに虐待が継続・日常化した場合、被害者が抵抗する意欲を失うばかりか、虐待をごく自然な行為として甘んじて受けるようになってしまう状態のこと。

らしいです。

そもそも私は物心着いた頃から、母からは殴られ、怒鳴られ、他人と比べられる(しつけ)をされてきました。

最初からそんな感じだったからこそ、恐ろしいことに、どこの家でも、どのお友達でも、私の知らないところでみんな親に怒られ、殴られていると勝手に思っていたわけです。

そうしてウチだけが特別じゃないと思っていたのですが、やっとそれが変なのかも??思い始めたのは小学校高学年になってから。

恥ずかしいことに、受け口や歯並びも自分の意識で治すものだと思っていました・・・。😅

そして受け口を叩いて無理やり治させた母の治療とは呼べない指導が、あれは虐待だったんじゃないか?と気づいたのは自分が母親になってからでした。

それまでは、叩かれる、暴言を吐かれるのは「自分がダメだった、悪かったからだ」と思っていました。痛い思い、悲しい思い、怖い思いをする度、そう思い込ませていました。

こんな思い込ませがいつしか定着してしまい

「私はどうせダメだし。」

「そんなダメな自分の人生はこれからもきっと、ろくなことない」

なんて、明るく振舞っていても心の中では絶望的な思考しかできない大人になっていました。

私は母のようになりたくない

子育てをしていく中で、一番怖いと思っていることがあります。

それはある心理学の著書にあるのですが、「虐待を受けて育った子は、自分の子供に自分のされたことをしてしまう傾向がある。」という言葉です。

子どもの成長とともに、毎回新しいことへのチャレンジを求められるのが育児です。

その言葉を思い出す度、いつも「私は絶対にそうならないぞ!」と気合を入れて子育てに望んでいました。しかし内心自分はダメだと思っているし、私の思う「普通」が人と違ってよく分からないから、不安になり、自信が持てなくなる。誰にも見せない心の中はいつもその繰り返しでした。

本当は忘れてしまいたいくらい嫌な出来事

「子どもの頃、あんなに母に叩かれ、(ののし)られ、育てられたのは何だったのだろう。」

この思いにフタをしたまま自信のない子育ての中で勃発したこの前の娘の暴力事件。

この時、みに先生のカウンセリングを受け、今までフタをして、忘れようとしていた当時の自分の心を教えてもらいました。

幼い子は、怖いこと、痛いこと、悲しいことをどう相手に伝えたらいいのかが分からない。

出来るのは、だまること・我慢すること・泣くこと、そして相手の言うことに従うだけだったと思い出しました。

ずっと目を背けていたことを久しぶりに直視して、涙が出ました。

小さい自分ですもの。逃げることも、それをしないでと言うことも、誰かに助けを求めることも出来なかったんです・・・・。

私が悪かったわけではない

私は娘が学校で暴力を振るわれた時、重いフタで封をした嫌な思い出をもう一度引っ張り出して、自分の置き去りにした気持ちを拾いなおすことで、娘の気持ちに寄り添うことができました。

しかし私の子どもの頃の記憶なんて、思い出すと惨めになる記憶でしかなく、忘れたくてふたをした位ですから、今思い出しながらブログを書いていても辛い気持ちになったりします。しかし、親になって久しぶりに過去の状況を見つめなおしてみると、以前と違い、気づいた事もあります。

決してしてはいけないことだけれど、当時の私の母は正常な精神状態ではなく、私に強く当たることでしか、自分のストレスを発散することができなかったのでしょう。

そして小さな私は母が壊れないように、暴力を受け入れ、耐え抜くことで母を助けていたのかもしれません。

私のように過去に日常的な暴力や暴言を受けながら、傷だらけの心を隠したまま大人になった方は沢山いらっしゃると思います。きっと、自己評価も低く、何をしても幸福ではない人生に感じられたかもしれません。

しかし、それは母の言うような「ダメな子」だったからではなく、「強かった」から理不尽な環境を乗り越えて、今こうしていられるのだと自信を持って頂きたいです。そして、苦しみを味わった人間だからこそ、子供にしてはいけないことと、反対に子供がして欲しいと思っていることを本当は誰より知っているはずなのですから。

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PTSD 子どもの頃のこと
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楪~yuzuriha~

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