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古びた育児書から知ったこと

PTSD
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今でも、実家に帰ると居間の本棚にいくつかの古びた本が並んで置いてあります。

もう読むこともないのに、ただ処分し忘れているだけなのか、思い入れがあるのかわかりませんが、その中の1つに使い込まれて古びた育児書があります。

私が物心つく頃にはあったと思うので、もう40年以上も前のものでしょうか。

それは事典のように分厚く、昔のものだから写真も白黒でほとんどない、細かい字で書かれたものでした。中を見れば、子どもの病気から日々の世話の仕方、年齢別の(しつけ)のしかたなど幅広く載っています。そして、沢山のページにアンダーラインやふせんが付いていて、暴力で私を教育してきて「育児書には殴って育てて良いって書いてあったのか?」と聞きたくなるような母でしたが、実は熱心すぎるほど調べて参考にしていたのだということが伺えるものでした。

以前「分からないことっていけないことなのか?」という記事でも少し書きましたが、私の母は子どもの頃から成績優秀、運動神経抜群、ハキハキした学級委員タイプ。

そんな母だからこそ、初めての子育てでも知らない・出来ないということは自分のプライドが許せなかったのでしょう。同居しているにもかかわらず、祖母にわからないこともあまり質問できなかったのだと思います。人一倍ダメな嫁だと思われたくなかったでしょうから。だからこそ、その育児書が母の育児に関する答えの全てになっていて、それに頼るしかなかったのだろうと最近になって気づきました。

育児書どおりにいかない母はストレスを感じ、私を責める

やはり思い出すのは2,3歳の頃です。私はあまり食に興味がなく、とても偏食でした。母がいくら気合を入れて子ども向けの食事を作ろうが、私は遊ぶ方が好きなので、よっぽどお腹が空かなければ自分から手を付けませんし、わからないものは口に入れたくないので、美味しいと知っている物しか食べませんでした。

母にしたらそんな私は規格外で、食事以外にもすべて自分の理想通りにいかない子。

そして育児書では栄養の偏りが無いようにとでも書かれていたのでしょう。

母は食べない私を叩いて無理やり食べさせていました。なんとなくその時のことを覚えていますが、思い出すのはやはり食事に対する恐怖です。だって、食べたくないのに叩かれながら、泣きながら食べなきゃいけなくて、吐き出したりすればさらに逆上します。

朝昼晩、3食の食事がストレスで本当に食べるのが嫌でした。

縁側でおばあちゃんと食べるおやつは大好き

祖母はそんな私を見て

「別に好きな物があって、食べられるならそれでいいじゃない」

と、おやつとしてお団子やどら焼きなどお菓子をよく与えてくれました。場所も食卓ではなく、祖母の部屋の縁側で。おひさまにあたりながらぼーっと食べました。

それはとても美味しく食べられたのですが、母はそれも面白くなかったらしく、大人になってから私の食育に失敗したのは「育児書に書いてあるようにちゃんとやったのに、祖母のせいだ。」と怒っていました。

実際、たしかにおやつを食べすぎて本来の食事を食べられなくなったこともあります。しかし、やさしい祖母と一緒に食べるお菓子は美味しく、安心して沢山食べてしまったと思います。

それは間違いじゃないけれど

確かに育児書の通り栄養バランスの良い食事は大切だし、それは正しいと思います。

今思い出しても、できることなら、気合を入れて作ってくれたであろう子どもメニューを食べてあげたかったけれど、何だかその時は本当にそれが出来なかったのだと思います。

勿論叩かれて食べること、母のことは怖くなりましたが、母が嫌いだからとか困らせてやろうなんて気はひとつもありませんでした。母には育児書どおりにいかないことばかりの私がストレスだったのでしょうが、私はただ、自分が美味しいと思うものを、安心して食べたかっただけでした。

食べない理由は私だけが知っていた

私が偏食でご飯を食べたがらない理由は、今は大人だからこうして説明できていますが、当時2歳児の私にはできるはずもありません。

同じく一生懸命だった母には悪いけれど、育児書をいくらみてもMeisui(2歳児)の取り扱い方の答えは載っていないわけで。😅もちろん、私が病気だったりおかしいわけでもなかったと思います。ただ、そういう「個性」。私のペースに合わせて、その「個性」を見てもらえたらもうちょっと早く答えがわかったのだろうな、なんて振り返って感じます。

辛かった体験が子育てに活かせた

しかし、おかげで良かったこともあります。

ウチの娘がやはり2、3歳の頃です。ある時期、うどんとフライドポテトしか食べてくれない時期がありました。他のものをならべても絶対に手を付けず、結局毎食うどんとフライドポテトだけ・・・。この時はちょっと母の気持ちがわかりました。

私は料理が上手じゃないから美味しくないのかな。

こんなんじゃ栄養失調になりそう・・・。

義母も色々助けてるつもりで助言をくれるけど、それがなんだかストレス・・・。

そんなことが頭に浮かび、憂鬱な気分でした。しかしここはもう諦めて、過去に祖母がしてくれたことを思い出し、もう堂々とうどんとフライドポテトを気が済むまで笑顔で与えてあげることに決めました。その後は1週間ほどして娘も飽きてきたのでしょう。ある日突然違うものに手を出すようになりました。どうやら娘は、うどんとフライドポテトがその時世界で一番おいしいものだと、ただ思っていただけのようでした。

子育てしながら自分育て

私の辛い幼少期の思い出でしたが、出来ることよりできなかったことのが多かった自分は育児書どおりにいかない化身(けしん)みたいなものだから、娘に寛容(かんよう)でいられたし、祖母や母の経験を活かすことが出来たのだと思います。

そして何より、子どもを育てながら、自分も過去を振り返って、時には古傷や新しい角度からみた解釈に触れ、自分を育ててもらっているな、と感じています。

人の数だけ個性があり、人生も色々です。育児書のような教科書通りにいかないことばかりです。

知らなかったこと、わからないことにぶつかった時、恥ずかしいことではありません。誰かに相談しながら、その時は自分を育てるチャンスだと思って、今までとは少し違った見方をしていきたいと思います。

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楪~yuzuriha~

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