ある日夫に突然
「コロナ禍で大変なのは判るけど、そろそろ働いて欲しい」
そう言われました。
以前はちょっとアルバイトしていたこともあったのですが、こういう状況になって8か月、今は専業主婦&趣味でブログを書かせてもらって生活しています。そして、残念ながら物流倉庫の仕事など時間に融通の利くバイトもやってはみたのですが、体力のない自分には向かなくて・・・。
夫としてはこのご時世、仕事はあってもなかなか給料UPに結びつかず、家のローンも返しきれるかどうか、なかなか貯金も出来ないことが心配らしいのです。
そして一番不安に感じたのが、普段そんなのはあまり気にしないタイプなのに
『ネットの記事で45歳の男性の平均収入を見たら、自分は平均以下だった』
『世帯年収〇〇〇万円以上ないと老後に苦労するらしい』
なんてことを見て知ってしまったから。
世間一般にあふれる普通の概念
夫がそう思う気持ちもわかります。
平均以下とか、○○以上ないとダメとか見ると本当に不安になります。
特に私たちは昔から普通かそれ以上であることを求められ、何事も最低でも普通であることを目指し、頑張ろうとしていますから、そう言われてしまうと絶望しかありません。

更に年収以外にも世間一般の普通の基準はたくさんあります。
・先生や親の言うことを聞くのが普通(または一般的)。
・なんでも話せる友人がいることは普通。
・ある程度の年齢になったら家庭を持つのが普通。
・結婚したら子どもを産み育てるのが普通。(できたら子どもは多い方が良い)
・子育てが落ち着いたら女性も働きに出るのが最近では普通。
・最近は父親も母親も協力して家事・育児・仕事をしていくのが普通。
・歳を取った親の世話をすることは普通。
ざっと思いつく限り挙げましたが、なかなか私たちに求められる「普通」「一般的」ってびっくりするほど多くないですか?(;゚Д゚)普通というのは、ある一部の人たちの認識なのでは?と思うのですが。
普通を追い求めるとただ辛い
上に挙げられた一項目の普通・一般的をただ維持するのだって、なかなか大変なことだと思います。
それを全部平たく普通を維持しようなんて、そもそも無理なんじゃないかと最近やっと思うようになりました。
それは自分の子ども時代を思い出しての気づきでした。
過去に母親に全てにおいて普通かそれ以上の能力を求められて、円形脱毛症になったり、抜毛症になったりと、精神的に追い込まれて辛かったあの時と同じ気持ちになるのかもしれません。
そしてなにより、人と比べて生きていくことは他人のものさしで計られて、いつになっても満足感や幸福感は得られないと思うようにもなりました。
普通じゃないことは不幸か?失格か?
夫には違うと言われそうですが今現在、平均より年収が低くても、理想である世帯年収に届かなくても、自分たちが不幸だとは私は思っていません。
お金があったら幸せか?という問題が一概にYESと言えないように普通じゃないことが不幸には結びつかないと思います。そして国が違えばその常識が違うように、人の数だけ「一般的」「普通」は存在すると思うのです。
だからそこばかりを気にしてしまったら人に振り回されっぱなしになってしまい、本当は満足して良いはずの自分の生活を楽しめなくなってしまいますよね。
周りの言う「普通」「一般的」より自分たちの日常に幸せを感じ取る力があれば、「普通」「一般的」の枠におさまりきれない豊かさを得られるのではないかと思いました。
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