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本当の親孝行

別居した今でも
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私の義父はお嫁に来た時には既に故人でした。63歳の時、肺気腫(はいきしゅ)で亡くなったそうです。七回忌を迎える頃に私はお嫁に来て、義実家には当時義母と夫の二人暮らし。

「もしお義父(とう)さんが生きていたら、同居しなくて済んだのに、残念。」

なんて当時はそれくらいに思っていました。

夫がどうしても私に同居をお願いしたのは、その義父にお願いをされたから。余命数日という時に、酸素吸入器を付け話せなくなった義父と夫が筆談したメモに残っています。結婚してから、「このメモがあるから、親父にお願いされたから母を一人にできないんだ。」そう言って、私に見せてくれました。

そこには、義母に対する感謝と素晴らしい人だという賛辞と、自分の人生に満足していること、そして息子である夫に対して

「母ちゃんを幸せにしてやってくれ。おまえはやればできる。」

そう弱弱しい字で締めくくってありました。

「幸せにしてやる」とはどういうことか迷走する日々

実際同居を始めるとやっぱり辛い事が多くて、あんな実家でも帰ってしまおうかと何度も思いました。いちばん最初に同居が嫌になった時に、なぜかそのメモを思い出して夫の仕事机の引き出しにしまってあるそれを眺めて、思いとどまり、以降同居で辛いことがあると、そのメモを眺めることがルーティンワークになっていました。

義父には会ったことないし、故人だけどきっと頑張れって遠くから励ましてくれているのだろうから期待に応えなくてはと思い、義母のわがままに付き合い、役に立つ嫁としてがんばって義母を支えてきました。それは私だけでなく、夫も息子として同じだったと思います。

しかし、義母の要望や我が儘は勢いを増すばかり。

とうとう義母についていけなくなり、別居を選びました。

別居をしても、近くだからいつも突然やってきて、善意の押しつけや、何か問題を起こしてから困って相談に来たり、目の前で義母の様子を把握できなくなった分、予想の斜め上を行く迷惑を掛けられることがしばしばありました。本当は親世代に対して言いたくないけれど、道徳に反していることをすればたしなめたりもしています。

だいたいそういったことに対応するのは家にいることの多い私で、正直義母の取り扱い方に困り果てていました。

今までの解釈違いに気づく

しかし、ごく最近になって気づいた事があります。義母の望んでいる幸せは、ご機嫌を伺ってもらって、我が儘が通せて、ちやほやしてもらえたらそれで正解かも知れませんが、果たしてそれでいいのだろうか。私達の生活がかき乱されて、世間の道徳を逸脱してまでわがままを聞いてあげることは、本当の幸せとは言えないのではないかと、そう思うようになりました。

だって、義母はそれでいいかも知れないけど、私達は全然幸せじゃない。どちらにとっても良いと思えなければ、それはまた新しい遺恨を作ることになりますから、正しいお付き合いとは言えないと思います。

一緒に居てやること、ご機嫌を取ってわがままを叶えてやることが幸せにしてやることではない。たとえいつも一緒にいなくても、道理にかなわないことはちゃんと指摘し、目先の不安を取り除いてやることが本当の幸せなのではないか、と。そう考えるようになりました。

義母には届かないかもしれないけど

例えば、病院に行きたいから連れて行って欲しい。パソコンや家電の操作が分からないから教えて欲しい、などと言った正当なお願いならOK。コロナ禍だけど気分転換にどこかに行きたい。暇つぶしに孫と買い物に行きたい、などはちょっとおかしなお願いなのでそれは断る。ただ単に義母のお願いを全て毛嫌いして、避けて過ごしていく事ではなく、引き受けられる正当なお願いは叶えてあげる。そうでないものは断るといった見極めが大切だと思いました。

義母にはきっと私たちが引き受けることの基準がわからないだろうから、時には捨て台詞を吐いて不機嫌に帰って行くこともあるでしょうけれど、それは義母次第なので仕方のないこととしてやっていくしかないです。そのうち義母が気づいてくれたらラッキー!くらいに相手に期待しないでそうしていこうと思います。

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