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将来の夢が素直に描ける素晴らしさ

PTSD
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少し前、娘の図工の授業で、「将来の夢について絵をかきなさい」という内容のものがありました。娘には色々なりたいものがあるようで、絵本作家だったり保育士だったり創作系YouTuberだったり、いろんな可能性を考えているようです。共通して何となくわかるのは「子どもに夢を与える仕事、一緒に楽しむ仕事。」そういうのをしたいのかな?ということ。その時は構図が書きやすいからと保育士になった自分が、子どもと遊んでいる未来を思い浮かべて書いたみたいで。

それを見て、「ああ、よかった。この子は楽しい未来がいくつも想像できるんだ。」と安心しました。

何故かというと、私は母や周りの大人の顔色を伺って、自分の将来が描けなかった子どもだったから。

兎に角、幼少時の母は自分の希望どおりの受け答えをしないと叱ったり、殴ったりする人でした。だから自分の将来の夢すらも、顔色を伺って素直に書いてはいけないと思っていたのです。これは自分以外にも親に虐待を受けていた人に聞いたのですが、やっぱり自分のなりたいものを正直に書けたことはないそうです。

自分の自由な想像の未来さえ、親に干渉されてしまうのはとても辛い事でした。

しかし無力な子どもにはそうするしかないのです。

私の場合もあくまでも夢なんだから、親も素直に「そういう仕事したいんだ?良いね!頑張ってね~!」って言うだけでいいはずなのに、本当の事を言えば「その仕事はよくない」「あなたには出来ない」「そんな仕事をしても食べていけない」など、親が率先してけなすんですよね。ひどいときは「そんなしょうもない仕事したいなんて馬鹿なんじゃない?」その一言で終わります。更にげんこつが来るときもあります。

だから、親には「アナウンサーになりたい。」そういうことにしておきました。

全くなりたくはないかと言われれば、そうでもないのかも知れませんが、とりあえず母親が一番好みそうな将来の夢だったからです。案の定、それは喜んで受け入れられました。

子どもながら建前と本音を使い分ける

実際、私が本当になりたかったものは「女子プロレスラー」でした。間違いなく、母に言えば直ぐに手を上げられ、訂正させられたこと間違いなしの将来の夢なのですが、私にはTVで観るプロレスがとっても爽快でした。

当時、クラッシュギャルズが全盛期で、私は長与千種選手のファンでした。正義感があってどんなに酷い攻撃を受けても負けずに立ち向かっていく姿が大好きでした。

私はいつも母に指輪付きのこぶしで頭を叩かれていたから、母(極悪同盟)VS私(クラッシュギャルズ)のように自分を重ねていたのかもしれません。なので、あの母をやっつけるためにプロレスをしたい!と本当は思っていました。

今はもう、自由なはずなのに

現在は娘に向かって「そういう自分が好きで楽しいと思える仕事はとても良いと思うよ!」なんて言ってあげられる立場に無事になれたのですが、相変わらず自分の事となると上手くできないようです。家庭を持って責任という縛りはあるにしろ、自分の思うことを悪く言う人はもういないはずなのに、伝えたいこと・やりたいことを何かに遠慮してできない自分が居ます。今まで、未来より今を生き抜くことに必死過ぎて、自分がどうしたいかなんて考えたことが無かったように思えます。

しかし、与えられる問題に対応して生きていくばかりの人生でも「未来を想像出来ないのは何かのせい」にしてはいけなかったのだとこの歳になって気づきました。鎖につながれていないのに繋がれたように生きていて、吠えることも逃げることも忘れてしまった犬のようだったと思います。

しかし小学校低学年で、内心親をやっつけてやろうなんて思っていたのだから、私も負けず嫌いでまあまあの狂犬だったと思うのですが。(笑)

でももう今は子持ちのそれなりの大人。これからは自分の思うこと・伝えたいこと・やりたいことを表現方法や伝え方に気を配って、自分を出す練習をしていかなければなりませんね。

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PTSD子どもの頃のこと
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楪~yuzuriha~

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