前回の話→過去記事悩んだ先に巡り合えたもの
前日に教頭先生とお話が出来て、学校側との面談も取り次いでくれたのですが、それでも私の心は晴れないまま。そして相変わらず自信もない。

面談といっても、娘がまた楽しく学校に行けるようになるにはどうしたら良いかがわからず、担任の先生に何て伝えればいいのか、考えあぐねていました。
一体どうしたら正解なんだろう。
火曜日だったその日は、きっと相談員の先生が居るはず。そう思って、もう一度教育相談室に行く事に決めました。
学校に行くと相談員の先生はいらっしゃり、無事お話を聞いて貰えることに。
娘の身の回りに起こったことを説明し、これからそれについての面談をするが、娘にはどのようにしてあげたらいいのかということ。そしてなかなか本心を言わない子に対して、どう接したら言い易くなってくれるのかを聞きました。
まず、先生と保護者とで娘に安心感を与えてあげることが重要で、家では親が、学校では色々な先生が事情を理解し、みんながあなたの味方で頼っていいことを教えてあげましょうと提案されました。
そして学校には相談室という部屋があり、
「怖いと感じた時」
「悲しいと思った時」
いつでも来ていいからね、と直接相談員の先生が娘に声を掛けに行ってくれるとのことでした。
そして本心をなかなか言えない子に対しては、どんなに言うのが遅くなっても、
どんな場面でも、
そのように、自分の本心を人に伝えることは悪い事ではなく、むしろ良いことなんだと思えるように声をかけて、そう習慣づけてあげて行ってください、とアドバイスをされました。
娘にとっては、怖い悲しいと思うのはそう思う自分がいけない事だと思っています。何よりだれも理解してくれないと、孤独で不安な気持ちでいるでしょう。似たような境遇でずっと育ってきた私は、そんな「孤独」「不安」は当たり前で、いつの間にか自分の気持ちを自己完結させる術を身につけてアラフォーまで生きてきてしまいましたが、うちの娘にはそんな思いを抱えながら生きて行って欲しくない。
だから親、先生みんながあなたに共感しているよ!と、そう理解させてあげたい。
そして、なかなか本心を言えない子には
「なんでそんなことを何故今頃いうの!?」ではなく
自分に置き換えると、前回のみに先生の「痛いと思うことを教えて」を含めて
これらは小学生だった時の私が周りの大人にかけてもらいたかった言葉だったかもしれません。
自分の思う事、言っていることが変ではなく、共感してもらえたらどれだけ自分に自信が持てたか。「ありがとう」なんて言われたら、自分の感性が悪いだなんて思わなかっただろうし。
子どもの正直な感想や、親にとっての面倒な事、私に正論を言われて都合が悪くなると暴力で解決していた昔の母をふと思い出してしまいました。
ずっと私が置かれていた環境はやっぱり「普通の家庭」じゃなかった・・・。
しかし、今母を恨んでも仕方がありません。周りがおかしな人ばかりだと、自分の中の「普通」が狂ってしまうことが多いのですが、これからは私も娘と同じく、自分の感情に自信を持ちたい。自分がおかしいと思わないようにしよう。そうしよう・・・。
そして、2日間が小学校に出入りして気になったことが他にもありました。
それは娘が怖いと言っていた児童玄関で見てしまった、相手の男の子のスニーカー。
娘のクラスの下駄箱をひとつ隔てたところに、その男の子の下駄箱があって、最初は「これだけ近かったら緊張するかも・・・。」と思ってみていました。
しかし相手の子の名前は聞いていたので、その子の靴箱に目をやると、週の初めの月曜だというのに、その子のスニーカーだけ洗えばいいってレベルじゃない。
かかとはつぶれきって、靴底もすり減って極端に薄く、「もう新しいのにしてもらったら?」と言いたくなるようなスニーカーを履いていました。靴の気(そういうのがあるのかは知らないけど)が抜けきっていて、その子の靴だけ異様・・・。
ただ靴を見ただけなのに、私はなんだか悲しい気持ちになりました。
あまり親に見て貰えてないのかな。
そしてなんとなく、暴力は許されないし、娘を殴ったことは腹立たしいけど、きっと彼にはそうしてしまう理由があるのだと理解しました。
私や娘は環境に適応しようと、自分を抑え込み我慢をしていましたが、心のどこかで自分の気持ちを間違っていないと認めてほしかった。しかし彼もまた、きっと他人を傷つけたり、問題行動を起こすことによって誰かの注意を引き、自分を助けてもらいたい、認めてもらいたいと思っているように感じました。
傷つける対象が自分なのか他人なのかの違いだけで、根底にある「認めて」もらいたい気持ちはきっと同じなのでしょう。
この2日間に私が小学校で見て感じ取ったもので、担任の先生にお願いしたいことがまとまったように思います。そして早速、お手紙の作成に取り掛かりました。
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