前回の話→過去記事誠意って何かね?②
首の痛みの応急処置に、一度みに先生の所に連絡をしていたけれど、その時は先生がお忙しかった為、改めて次の日に連絡させてもらい、学校に電話して言われたことを聞いて貰いました。
先生にはまず、私が憤慨するのは間違っていないということ。そして、学校にはもう一度話をしてとりあってもらうか、それもダメそうなら教育委員会に言うしかないのではないかということ。
あとは子どもに辛い気持ちを吐き出してもらいたいのなら、
✖「なんでも話して」
ではなく
◎「痛いことを教えて」
と伝えると良いと教えて貰いました。
痛いこと、か。
私自身何故だかわからないけれど、自分の辛さや痛みに気づくのが遅いんです。例えば、目の前で自分の嫌なことを言われても、とっさの反応が出来ずに、あとから沸々と怒りや悲しみが沸き起こってくることばかり。だから、痛いこと、と言っても具体的に自分ではピンと来なくって。
「物理的に痛いこと。痛いと思うほど心が辛いこと。心がモヤモヤすることでもいいや。そういう事があったら教えて。
このように、その時は娘にそのまま伝えたと思います。
それからしばらく経っても、やっぱり色々考えて、どうしても納得がいかない。だからもう一度学校と話し合ってみようと決めました。そして娘には正直に

「ママはこの前の図書室の事がまだ納得できないから、先生に詳しくお話を聞きたい。だから懇談会後に残って面談をお願いしようと思っているから、どうする?一緒に先生と話す?それとも先に帰って家で待ってる?」
と聞くと、突然泣き出しました・・・。
そして娘は
と、やっと本心を言ってくれました。
先生の「痛いと思うこと」が効いたのかも知れません。しかし、後になって思ったのはもしかして娘と同じく、私にも痛いと思うことを先生は言わせたかったのかも。今私自身心が痛いと思っていることを、当事者である娘に正直に伝えることで、娘もそれに応じてくれたのでしょう。この子も心のどこかで納得がいっていなかったのだと思います。
子どもなりに自分の身は自分で守らなきゃとわかっているけど、体格のいい上級生の男の子には太刀打ちできない・・・。突然正当なことを言って殴られた怖さも消えないし。
そして、事件の後も変わらず掃除場所も図書室のままだし、自分だけ変えてほしいなんて、どっちかというと、聞き分けかよくルールを守ることを重視するウチの娘が、自分から言い出せるわけがない。
そして今回はちょっとイレギュラーなケースで、段々大人になるのだから問題を自己完結させて、自分を納得させて解決することも大切ですが、こんな時の純粋な恐怖や辛さまで抱え込んで、周りと合わせようとしてたなんて、そういう風に私が育ててしまったのだなあとすごく反省をしました。
前の自粛期間に義母に預けていたときもそう。
あの時は知らない間に2か月も娘に我慢をさせていて、思い返せば、娘が産まれてからずっと、義弟が離婚して実家に転がり込んできたり、相続で揉めたり、義母のわがままに振り回されたり、家を買ってすぐ夫がうつ病になって会社を辞めたり。そうして義家族など周りの困った大人達に私の労力がとられて、子どもと向き合っているようで、私はたいして向き合えていなかったのかもしれない。
娘もいつのまにか空気を読むようになって、忙しくしている私に対してちょっとずつ我慢をするようになっていたのしょう。
私の周りがダメ大人ばっかりだから、自分位はしっかりして、ちゃんと子供を育てたいと思っていたのに、私もたいして変わりないのかもしれない。そして親子してそっくりな性格になってしまった。
私って情けないな・・・。
そうやって自信をなくしはしましたが、同時に娘の気持ちを汲んでやらねばという使命感のようなものが生まれました。
そして娘の本心を夫にも話し、2人で保護者懇談会後に面談に行く事に決めます。
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