毎年新米が採れる頃になると、みに先生に必ず聞かれることがあります。それは、
『今年の収穫はどうでしたか?取れ高はどうでしたか?』
最初は何故、一般的に年末に聞くような事を秋に聞くのだろう?と不思議に思ったのですが、そこには中医学に基づいた理由がありました。
自然界が人に与える影響にはそれぞれ性質・特性があります。
春は木の性質をもち、特性は曲直
夏は火の性質をもち、特性は炎上
長夏は土の性質をもち、特性は稼稼
冬は水の性質をもち、特性は潤下
そして
秋は金の性質をもち、特性は従革
わかりやすくお伝えすると、秋は生物の新しい一年の始まりという事です。
例えば、お米作りに置き換えて考えてみます。
大まかに言うと、田んぼは11月~3月頃に土作りをし、4月頃には苗を育てます。
5月初旬頃に田植えをして、6月~9月頃は稲を生長させる時期です。
そして、9月下旬から10月には出荷され、食卓に新米として並ぶことと思いますが、人もまた生き物である以上、同じことが言えるそうです。
私たちも今まさに収穫の時であって、人は生きていれば、誰もが何かしらの収穫があります。
マイナスになるということはありません。
それは、お金であったり、健康であったり、人間関係であったり、収穫できる種類も様々ですが、取れ高は人によって異なります。
それは田んぼと同じように、環境の影響も受けることもありますし、もともと備わっているもの、特技・性格・体質も違います。時には自身が失敗をして、得たものを失ってしまうことだってあるでしょう。
しかし重要なのは、そうして1年苦労して得たものは「今の自分に丁度いい」量であって、その得たものを次にどうやって大切に使うかだと教えられました。
今まで私は、なんとなく自分の取れ高を周りと比べて、何もない自分を恥ずかしく感じ、取れ高を増やすことばかりを考えていたけれど、実際考えなくてはならなかったのは、
「今あるものでやっていく」
という使いかたの方でした。
仮に、今私が多くの取れ高を得たとしても、やっぱり使い方が間違っていれば、結局何も残らず、だからいつも何かが「足りない」のだと思うのです。
そして、もしも刈り残した成長がいまいちなもの、芽の出ない不安な種があったとしても、それは思い切って抜いてしまうか、または今後自分がどのように育て、どのように収穫し、使うかによって、有益なものに変化させることができると思います。
少ないことは決して恥ずかしい事じゃない。
量にかかわらず、自分に与えられた収穫に感謝し、従革の言葉通り正しく従い、困ったことが起きたらなら、それは学びのチャンスととらえ、令和三年を自分らしく歩んでいきたいと思います。
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